西向く侍か

 本日で11月も終わりとなります。現在使っている暦というのは、不思議と

いうかよくできているというかであります。なぜ2月は他の月よりも日数が

少ないのかとか、どうして「西向く侍」は小の月となるのかです。今も小学

校では「西向く侍」なんて覚え方をするのかな。もちろん侍というのは士の

ことで、これは十一なんだよね。

 月の終わりには、出版社からPR誌が送られてきます。まずは来月の新刊

チェックを行うことにして、そのあとになかをのぞいていきます。このところの

注目は新潮社「波」の編集後記でありますよ。届いたばかりの「波」12月号

の書き出しは、次のようになります。

「同業者、それも歳下の同業者の素晴らしい仕事を目にするのは、羨望や

発奮が入り混じった感情をおぼえて、いつだって刺激的です。わたしは今、

国書刊行会の編集者樽本周馬さんのことを書こうとしています。」

 この後記は、最初から最後まで樽本さんの仕事を取り上げているのです

が、樽本さんは昨年に「笠原和夫傑作選」という大部の編集し、この過程で

編集後記子に問い合わせがあったのだそうです。それは後記子さんが笠原

さんの「映画はやくざなり」という本を編集したことによるものだそうです。

 そして今年に樽本さんは「映画監督神代辰巳」という凄まじい本を編集し

て、世におくりだし、これを見ての印象が、文章冒頭の言葉となります。

 この後記は、次のようにしめられています。

「『映画監督 神代辰巳』は『映画芸術』誌の追悼号がきっかけになった

由。『映画はやくざなり』も同誌に載った笠原さんの短文が基です。それが

片や五時間の歴史大作、片や一時間半のB級アクションみたいになる。

編集者の資質の違いに呆然としますねえ。」

 まあ歴史大作よりもB級アクションのほうが好きという人がいるといって

おきましょう。

映画監督 神代辰巳

映画監督 神代辰巳

 
笠原和夫傑作選 仁義なき戦い 実録映画篇

笠原和夫傑作選 仁義なき戦い 実録映画篇

 
映画はやくざなり

映画はやくざなり

 

本日も芝居話題

 昨日に引き続きで蜷川幸雄さんについての本「蜷の綿」から話題をいた

だくことになりです。

蜷川幸雄と「蜷の綿」

蜷川幸雄と「蜷の綿」

 

 蜷川さんへのインタビューでは、役者時代のことについて、次のように言って

います。

「屁理屈は凄いんだけど、演じると上手くないっていう最悪のパターンの俳優」

「演じるのは上手くない」ということについて、パートナーの真山知子さんはイン

タビューで次のように話しています。

「すっごく屁理屈こねて面倒臭そうな人だと思ったけど、人間としてすごく上等

だなと思ったの。それだけなんですよね。十人が十人反対したんですよ。結婚。

『あんなヘタで将来性がない役者と結婚するなんて』とか、『本当にやめろ』

って親切な顔をして言ってくれたんだけど、劇団ではどれだけもつか賭けてい

たらしい。」

 真山さんと結婚してからは、蜷川さんは役者をやめて小劇場の演出をする

ようになったので、「結婚してからずいぶん大変で、一生懸命働いた」と真山

さんは語ることになるのです。

vzf12576.hatenablog.com 当方が役者としての蜷川さんをTVドラマで見たのは、上にはめこんが過去

記事でも言及している1965年にNHK連続ドラマ「チコちゃん日記」でありま

した。主人公が働く会社の同僚役でありました。今回の「蜷の綿」には、略年

譜があるのですが、それには1956年以降多くのドラマ、映画に出演とあるの

みで、具体的な作品に触れているところはなしです。

 「チコちゃん日記」の翌年に真山さんと結婚することになったとあります。

 そんなことを思いながらいたところに新聞夕刊掲載の三谷幸喜さんのコラ

ムでチコちゃん役の柴田美保子さんの名前を眼にすることになりです。

「八年前に亡くなった脚本家んじょ市川森一さんを偲ぶ『市川森一記念文化

講演会』。市川さんが生まれ育った長崎県諫早へ行ってきた。

 たまに講演会の話は頂くが、ほとんどが司会の方とのトークショー。大好き

な市川さんの話をすればいいのだからなんとかなるとは思ったが、九十分は

さすがに無理と三十分に縮めてもらう。残りは市川さんの奥さま柴田美保子

さんとの対談にして頂いた。」

  柴田さんも結婚したときは、市川さんよりもずっと有名であったことですが、

今では市川さんの夫人といわれるようになっていますが、これはちょっと残念で。

本日は芝居話題

 野暮用から戻って録画してあった「ごごナマ でんでん」のところを見ること

になりました。当方よりもちょうど一歳年長でありますが、デビューは遅かったの

ですが、ここのところほんとひっぱりだこの活躍です。

 当方は「星屑の町」で舞台を見ることになったのですが、そのときには、あれ

そのむかしの「お笑い勝ち抜き」にでていた人さと教えられました。その番組を

見ていなかった当方には、ほとんど未知の役者(というか、その頃はお笑いの

世界の人という印象)でありました。

 本日の番組では憧れの役者として渥美清さんの名前をあげていました。

(でんでんさんの紹介ページにも渥美清にあこがれて、弟子入りしたいと思った

とありました。) 

渥美さん出演のTVドラマ「泣いてたまるか」とか「おもろい夫婦」を見たことが

渥美さんにはまった理由とのことです。なるほどでありますね。当方は、役者に

なろうなんて思ったことはありませんが、その後に来る「男はつらいよ」への助走

期間でありますから勢いがありました。

 そんなことを思ったのは、先日に図書館から借りてきた「蜷の綿」という本を

手にしていたからでもあります。

蜷川幸雄と「蜷の綿」

蜷川幸雄と「蜷の綿」

 

  北海道出身の若い劇作家 藤田貴大さんが蜷川幸雄さんからバトンを引き

継ぐという話ですが、二人の間でかわされた交換日記とかも掲載されているもの

の、当方がまず読んだのは、蜷川さんのそばにいた奥さん(真山知子さん)とかっ

て蜷川組であった石井愃一さんのインタビューでありました。

 その石井さんのインタビューのなかに渥美清さんが登場するのです。

「蜷川さんとの出会いはね、1971年の四谷公会堂でやった現代人劇場の『東海

四谷怪談』という芝居なんですよ。・・この稽古中に、ある二枚目俳優がデモで

パクられて出演できなくなっちゃった。そのとき制作をやっていた中嶋稔さんが

いろんなところに声をかけたんですよね。・・そのとき、僕はたまたま渥美清の事務

所にいて、渥美さんのマネージャーの高島幸夫さんの家に年中出入りしてたんで

すよ。」

 いまは佐藤B作さんの「東京ボードヴィルショー」の重鎮となっている石井さん

にもこのような時代があったのかです。石井さんが最初に蜷川さんの芝居をみ

たのは、蜷川さんのところから「現代人劇場」の「真情あふるる軽薄さ」の招待状

渥美清さんのところにきて、このチケットをまわしてもらっていった時とのこと

です。

 当方は田舎の浪人生でありまして、清水邦夫さんと蜷川さんの世界は、はるか

に遠かったことです。それにしても同時代で、あの世界に魅せられて人生が狂っ

た人もたくさんいただろうなと思うことです。

 当方は、本屋歩きが一番の趣味でありましたので、音楽ライブもアングラ芝居

も見ることがなしでした。たった一度だけ大学のどうして知り合ったのはわから

ない他学部生に誘われて、学内でやっていた演劇サークルの公演を見たことが

ありました。

 たぶん、この芝居が清水、蜷川のものではなかったろうか。ヒロインを演じたの

はオリジナルは真山知子さんでありましたが、それを女子学生が演じるのが奇妙

にもエロチックであったことだけ覚えています。まったく何をみていたのだか。

いまから45年は昔の話となります。

駆け足で読むことに

  本日は図書館から借りた小田光雄さんの「近代出版史探索」を手にして

いました。

  昨日まで話題にしていた小田さんの「図書館逍遥」は、上記の本を図書館

から借りてきたことで、積読になっていたものを読んでみたものです。

 それで発禁本関係のところを見ていたのですが、新刊の「近代出版史探索」

は冒頭からカストリ雑誌とか、地下出版の版元とか編集者、作者についての

文章が続いていて、ほとんど未知の出版分野のものでありました。

 これを見ていても、当方は話題にすることもできずであります。小田さんは、

当方とほぼ同年でありますが、こうした出版物にずいぶんと詳しいものと感心

しながら読んでいたのですが、ページをめくっていましたら、次のような記述が

ありました。

「平成19年の『探偵作家追跡』に続いて、若狭邦男の『探偵作家尋訪 八切

止夫・土屋光司』が日本古書通信社から出された。若狭の蒐書をたどっていく

と、尋常な努力では収集できないと思われる雑誌や書籍に出会うことになり、

私などは本当に横着な古本探求者でしかないという気にさせられる。」

 八切止夫という作家さんは名前だけは知っています。70年代に古本屋さん

へといけば、この作者の本がどんとありました。小生は手にすることもなかった

のですが、その八切さんとその出版社である日本シェル出版の刊行物につい

て調査して発表したのが若狭さんなのだそうです。

 その人の仕事は、プロから見ても尋常ではない努力なのですから、ほんと

すごい人がいるものです。

 

 

発禁本かな

 発禁本ということは、なんらかの外的な強制力が働いて、販売することが

できないということですね。戦前でありましたら、発禁というのは珍しいことでは

ありませんでした。

 昨日の小田光雄さんの本には、次のようにあります。

図書館逍遥

図書館逍遥

 

「現在では忘れさられてしまったが、ポルノグラフティから社会主義文献、小説

に至るまで、それらが絶えず国家の検閲の対象であった。」

 ということで、大日本帝国においては検閲があって、それのために発売禁止

は合法でありました。それを避けるために、伏せ字にしたりしたのでしたね。

戦後には占領軍の厳しい検閲があって、それがために発禁ということが継続

されることになりです。

 この時代とくらべると、最近は出版物が発禁になるというのは、ほとんどない

のではないでしょうか。発禁にする仕組みというのは、出版差し止めの裁判を

起こすか、わいせつ文書として摘発するくらいしかないのではないかな。

 それよりも、そんなものを出したらガソリンをもって殴り込みをかけるからなと

か、そんなことをしたら広告を引き上げるからなという脅しのほうが、法律よりも

効いているかもしれませんです。

 今はむかしでありますが、日本ではヘアヌードというのはご法度でありました。

 小田さんの本からの引用です。

「90年代になって、正規の出版流通システムによりヘアヌード写真集が全盛と

なったが、その起源はビニール本にある。」

 最近の人はビニール本なんて知らないでしょうが、地下出版ぎりぎりのところ

にこの世界はあったのですね。

 数日前から手元においてある宮田昇さんの「小尾俊人の戦後」には次のよ

うなくだりがあります。

「フランスのポンピドゥー・センターでの展覧会を機に発行された写真目録

『写真家マン・レイ』の未製本印刷物が、船便で送られてきたのは昭和57年の

秋である。

 東京税関は、このなかの数葉の写真に女性のヘアが写っていることで、関

税定率法第22条一項三号の『風俗を害すべき物品と認められる』とし、返送

するか、廃棄あるいはスミの塗抹かの選択を迫った。私も権利者側として、

小尾俊人といっしょに東京税関大井出張所に赴いて税関との折衝に当たっ

た。」

 このままでの出版はできませんよといったのは、東京税関であったのですね。

もちろん、スミで消していたら、問題なしということで、そのスミを取り除くため

にはこれが有効なんてことがいわれたのでした。

 これに対して小尾さん(つまりみすず書房)は、裁判に訴えなかったのですが、

東京税関には相当の申し入れをしたとあります。

「だが、税関はいっそう頑なになったと思う。小尾はやむなくスミの塗抹を選択

したが、消去の色の濃さまで言い立てられ、再三印刷しなおした。

 『ヘア』の取り締まりは、日本の官僚システムの譲れぬ最後の砦であったのだ

ろう。」 

 1982(昭和57)年というのは、そういう時代でありました。

小尾俊人の戦後――みすず書房出発の頃
 

 

地獄棚かな

 小田光雄さんの「図書館逍遥」を見ていましたら、ぱり国立図書館には

「地獄棚」というものがあることを知りました。

図書館逍遥

図書館逍遥

 

  この「地獄棚」というものの存在を教えてくれているは澁澤龍彦さん

で、それは「『地獄』棚の魅力」というエッセイにあるのだそうです。

 中田さんが引用している澁澤さんのエッセイの紹介をさらに引用です。

「パリ国立図書館では公開禁止のエロティックな文学の並んでいる棚を

『地獄』棚と称していると紹介していた。澁澤によれば、欧米の図書館には

『地獄』棚に類する書物がかなり所蔵されていて、それぞれ『アルカナ』、

『デルタ』、『地獄の穴』『宝物庫』と呼ばれているという。日本の公共図書

館には、これら欧米の図書館の『地獄』棚に相当するものがあるだろうか。

いやあるわけがない。ひたすら忌むべきものとして直視してこなかったの

が、日本の公共図書館の歴史であり、そのことによって書物の世界の豊穣

性の構築を怠ってきたといえるのではないだろうか。」

 当方は町の図書館くらいしか足を運んでいないのですが、中田さんが

このように書いてからの20年で状況はかわったでありましょうか。

 上記に続いて、小田さんは、「必然的に日本の『地獄』棚文献の収集は

民間コレクターの手によってなされるしかなく」と書いているのですが、そう

したコレクターの代表的な一人として、城市郎さんをあげています。

 この城さんのコレクションを紹介した別冊太陽の「発禁本」のことを、

「別冊太陽シリーズには、書物をめぐる優れたものが数あるが、この

『発禁本』はそれらのなかでも白眉といっていいし、質量ともに最も充実し

たものとなっている。」

もちろん、当方はこの「発禁本」を持っているのですが、これを機にひっぱり

だしてくることにしましょう。 

発禁本―明治・大正・昭和・平成 (別冊太陽)

発禁本―明治・大正・昭和・平成 (別冊太陽)

 

 

性の発禁本 3 (河出i文庫)

性の発禁本 3 (河出i文庫)

 

 

ひどくあたたかい

 朝に外にでましたらもわっと湿った空気を感じました。この時期にひやっと

して空気は乾いているのですが、これは珍しいことです。本日は気温が高く

なるとのことで、風除室に取り込んでいたバラなどを外にだして外気にさら

すことになりです。(この時期に鉢であっても、このようにバラが咲くのは珍し

いことです。夏バラとくらべますと、ちょっと色はちがってうつりますが、ピンク

色のバラはレオナルド・ダヴィンチです。)

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 あまりに暖かいので、先日に交換してそのまま物置にしまいこんだ夏用の

タイヤを水洗いすることになりです。ほんとありがたい一日となりました。

 外で仕事をしていましたら、配達さんが「ちくま」12月号を届けてくれました。

そうか次の日曜日には12月にはいるのかです。12月といえばちくま文庫

とっては特別な月でありまして、ちくま文庫が創刊されたのが12月で、それが

ためにこの月はいつもよりラインナップに力がはいっているように感じるので

すね。(単にいつもの倍数というだけでなく。)

 12月のちくま文庫ですが、池内紀さんの「消えた国 追われた人々」が待

望の文庫化であります。元版はみすず書房からでたものですが、ずいぶんと

早い文庫入りです。元版は図書館から借りて読んでのですが、文庫になった

ら池内さんの追悼で購入することにしましようかな。

消えた国 追われた人々――東プロシアの旅