外出したおりに

 本日の午前早くに駅まで送っていくことになりです。駅で下ろしてから、本屋へ

と向かったのですが、これは早すぎていまだ開店していませんでした。これは

いかんと、ショッピングモールへといって時間をつぶすことにです。モールに入っ

ている本屋は9時には開店していまして、なんとか本を物色しながら時間を過ごす

ことができました。

 ここはイオン系の本屋でありますので、ジャスコとかイオンの創業一族に関する

本は、他で目にすることのないものがならんでいるのですが、他ではふつうにある

ものが見当たらずです。本日はちくま文庫の新刊を買うつもりであったのですが、

今月の売れ筋 山尾悠子さんの「歪み真珠」は4冊くらい入っていたのですが、

当方が求めようと思った柴田道子さんの本は入荷しないようです。これも普段の

実績が反映されているのか。

 せっかくでありますので、ここでは次の新書を一冊購入せりです。

平成史講義 (ちくま新書)

平成史講義 (ちくま新書)

 

  4月いっぱいで平成もおしまいになるということで、このところ平成になってか

らの30年を振り返る記事等が目につくことであります。そんな流れで、お前は

どう思うかなとふられたりもすることから、ちょっと整理をするための参考になる

かなです。

書名は「平成史」となっていますが、平成が歴史として書かれるのは、まだ早いこ

とでありますね。

 予定では、この週末はメモを取りながら、この「平成史講義」を読むのでありま

したが、これまでのところ、まったくできておりませんです。

 10時になったのを確認してから、行きつけの本屋へと移動です。行きつけの本

屋は売り場は、ショッピングモールの本屋よりも小さいのでありますが、卸が力を

いれているせいもあって、配本される本は、モールの店よりもずっとましでありま

す。

 本日は何冊か、買おうと思ったものがあったのですが、ぐっと我慢して、ちくま

文庫からと朝日文庫から各一冊購入しました。

被差別部落の伝承と生活 (ちくま文庫)

被差別部落の伝承と生活 (ちくま文庫)

 

 こちらは、著者である柴田道子さんへの関心と、聞き書きという手法への興味

からの購入です。若くして亡くなった柴田道子さんでありますが、この人のもの

は、もうすこし知られてもいいのですよね。

 それにしても、この本を文庫化したちくま文庫編集部は期待できそうでありま

すね。横田雄一さんによるあとがきには、編集部 青木真次様とありました。

元版は1972年三一書房でありますから、47年ほども前のことになります。

「日本スゴイ」のディストピア: 戦時下自画自賛の系譜

「日本スゴイ」のディストピア: 戦時下自画自賛の系譜

 

  こちらは2016年に青弓社からでたものを加筆修正して文庫化されたもの。

 このところメディアでは「日本スゴイ」というのがたいへん目につくように

なっているが、これはその昔の昭和にもあったなということで、かっての「日本

スゴイ」と喧伝した本を紹介するもの。

 「スゴイ」というのは、なにかと比較してのことでありますが、その時には、

必ず「すごくない」というものを見つけ出してこなくてはいけません。それこそが

差別のはじまりでありますか。

 柴田さんの文庫の帯には、「差別とヘイトの時代を乗り越えるために」という

言葉がありますが、こちらの本も訴えるところは、同じでありましょう。

すこし勢いをつけて

  吉田健一さんの「金沢」は、なかなかページを稼ぐことができませんので、

すこし勢いをつけるために、「金沢」を手にする前に、それよりも読みやすい乙川

さんの小説を読むことになりです。

 あわせて二冊読んでくだされという「二十五年後の読書」と「この地上におい

て私たちを満足させるもの」をぼちぼちと読んでいます。とりあえず本日に読んで

いたのは「二十五年後の読書」でありまして、こちらのほうが先に刊行されていま

した。当方の読む順番は、それと逆になりました。

 どちらの作中にも小説を書く人が登場するのですが、「二十五年後の読書」で

は、小説家は主人公ではないようです。それでも、主人公の女性やその愛人(?)

となる小説家を通じて、作者の思いが吐き出されます。

「文学にしろ演劇にしろ日本の批評は甘いでしょう。大家と言われる人にも失敗

はあるのに遠慮して批判できない、質の点でも先人の作品に勝るものは少ない

というのにちやほやする、作家を傷つけたくないというより誉めることが評論家の

仕事になっている。・・・ 過剰に作家を持ち上げる書評、首をかしげたくなる賛

辞、なんの役にも立たない青臭い分析、作家よりも自身の優秀さを証明したいだけ

の鼻高な文章などがちらついた。」

 作者の乙川さんは文壇というか、作家の親分、子分の世界と距離をおいている

ので、このようなことが言えるのでありましょう。書評などでべたぼめであったり

しても、それを鵜呑みにしないことが必要でありますね。

 読んですぐに感動! するようなものは、碌なもんじゃありませんわ。

二十五年後の読書

二十五年後の読書

 
この地上において私たちを満足させるもの

この地上において私たちを満足させるもの

 

 

本日のことば

 これは「ことば」といっていいのだろうか。戦後に生まれて育った人には、

ほとんどなじみのない「兵事係」というものであります。これが本日の新聞

朝刊「ザ・コラム」というのに見出しででていました。

 「兵事係と自衛官募集」というものですが、戦前の日本の役場に兵事係

なんていうものがあったことは、ほとんどの人は知らないよな。もちろん、当方

も最近になって、役場には兵事担当の人がいたことを知りました。兵事って

なんだでありますね。

 本日の新聞記事(最近は非国民新聞といわれているらしい)から引用する

と、次のような仕事をするのが兵事係であったようです。

「徴兵名簿の作成、徴兵検査、赤紙と呼ばれた招集令状の交付、出征の見送

り、留守家族の扶助、兵士に送る慰問袋のとりまとめ、戦死の告知、死者の葬

儀など膨大な仕事を担った。」

 そうなんですよね。兵事係というのは、兵隊さんに関する業務を処理する担当

であったのですよ。この仕事は戦後にはなくなったことや、これの具体的な業務

の内容について、書き残した人が少ないこともあって、ほとんど忘れられそうな

役場の仕事なのです。

 もうひとつ大きいのは、この関係文書の多くが「焼却された」ことによります。

焼却せよとどこかから連絡があって、その連絡があったことの記録も残すなとい

われたとありますので、このあたりのことを調べようとしますと、すぐにお手上げと

なってしまいます。なんといっても、ほとんど資料がないのでありますからして。

 本日の新聞記事には、焼却を逃れた「兵事係」文書についての展示が過去に

あったと書かれています。日本全国にあったものが、残っているのが極めて稀と

なっているのですが、もちろん焼却したのは、敗戦によって敵国に、これらの文書

を押収されて責任追求されることを恐れてのことでありました。

 不都合な書類は残さないというのは、この国では普通にあることでありまして、

別にこの二、三年で顕著になったわけではないですね。過去には長野オリンピック

誘致業務における会計簿が焼却されたことが話題になりましたが、とっくに忘れ

てくれていますからね。

なんとか30ページ

 夕方に外出より戻って来て、吉田健一さんの「金沢」を読むことになりです。

 ほんとわけのわからない小説(?)でありまして、この小説はそのわけのわから

なさを楽しむものでありますね。本日はそれでも、すこし会話の続くところがあり

まして、その会話のところには、首をひねらなくとも理解ができたりするのですが、

それを受けるのが、地の文がまたくねくねとした文章となるのでありました。

 こんな感じなのです。

「『この辺に生えていて春のうちに取って酒粕や何かを混ぜたものに漬けて置く

のですよ。その切った恰好から星草って言うらしい。』

 そうかも知れなかった。大概の飲みものや食べ物は先ずそのようなもので

その故事や由来を聞かされてその味がよくも悪くもならず、その星の形をした

茎の輪切りもそのことを聞く前と同じ爽やかな味がした。」

 主人公が招かれて金沢のどこかのお宅で酒肴をいただくのですが、酒のあて

となる食べものについて、「不老長寿の霊薬ですか」と発したことから、そこの

ご主人と以上のようなやりとりになりです。

 本日は、この会話のところで救われました。いまだ70ページというところです

が、すこし前進であります。

 これとくらべると「汽車旅の酒」に収録の文章は、わかりやすく、読みやすい

ことであります。

「汽車がごとごと揺れて走っている時、原稿など書けたものではなくて、それよ

りも、仕事を持って旅行に出掛けるのでは、旅行をする意味がない。」

 まさにそのとおりでありまして、これは読み違える可能性はありませんね。

金沢・酒宴 (講談社文芸文庫)

金沢・酒宴 (講談社文芸文庫)

 

 

汽車旅の酒 (中公文庫)

汽車旅の酒 (中公文庫)

 

昨日からの流れで

 夕方に外出から戻って、夕食前に乙川優三郎さんの「二十五年後の読書」

を手にすることになりです。ぱらぱらと何十ページか読み進むことになりました

が、このように読めてしまうものばかり読んでいていいのかと、ちょっと思うこと

で。

 そういえば、先日に訪れたブックオフで、ほぼ半額ほどの値段で買った文庫

本が、もう一冊ありました。それは吉田健一さんの「汽車旅の酒」です。

汽車旅の酒 (中公文庫)

汽車旅の酒 (中公文庫)

 

  これは中公文庫オリジナルのものでありまして、巻末にある編集付記を見ま

したら、「著者の鉄道旅行とそれにまつわる酒・食のエッセイを独自に編集し、

短編小説二篇『東北本線』『道端』、観世栄夫『金沢でのこと』を併せて収録し

たものである。」とありました。

 これは吉田健一さんのものとしては、読みやすそうなものを集めているのだな

と思いながら、まずは観世栄夫さんの「金沢でのこと」を読んでみることにしまし

た。この文章は集英社版『吉田健一著作集」第20巻の月報に掲載となったも

のだそうです。観世さんの文章の書き出しは、このようなものです。

「今年も桜が咲き始めたが、金沢に行かず仕舞いだった。吉田先生のお元気な

頃は、毎年二月の金沢行きが楽しみで、前の年の暮頃から、そわそわしたもの

だった。」

 吉田健一さんといえば、やっぱり「金沢」なんだな。これを機にこれまで何度も

手にしながら読み通せていない「金沢」を読まなくてはいけないと強く思いまし

た。

 そんなわけで文芸文庫版「金沢」を取り出してきたのですが、これがまあ乙川

さんの小説とは対極にあるように読みにくいものでありまして、ほんとうに不思議

な文体で、すこし目にするだけで、これは吉田健一さんの手になる作品とわかる

のですが、これほど読者に媚びない小説というのも珍しいこと。さて、この小説の

どこまでいけるかなです。

金沢・酒宴 (講談社文芸文庫)

金沢・酒宴 (講談社文芸文庫)

 

 

なんとかクリアかな

 本日は大震災から8年であります。当地はほとんど被害はなかったのです

が、津波原発によって、多くのものが失われました。失われた命は戻ってこず、

汚染された土地も、いつになったら従前に戻るのか、冷却汚染水も最後は海に

放流するしかないのではと思わせるような雰囲気になってきていますが、それは

ないでしょう。そのうちに原発推進の当事者たちはいなくなって、次の次の世代

は、なんでこんなことで苦労しなくてはと嘆くのでありましょう。

 本日に買い物に行きましたら、地元の金融機関が弔旗をあげていましたが、

これを目にしたのは、ずいぶんと久しぶりのこと、そのせいもあってか、同じ金融

機関の支店であっても、弔旗の掲げ方はちがっていました。本部はどのように

掲げるようにと指示したのかな。

 週末の読書として、乙川優三郎さんの「この地上において私たちを満足させる

もの」を読んでおりました。

 71歳になる小説家が、これまでの生活や住んだところと出会った人についてを

書きながら、小説家としての自分のスタイル確立の苦しさなどを描いたものとな

るのですが、さすがに山本周五郎さんを好きというだけあって、上品な仕上がり

となっています。

 作中にはフィリピンとかでの日々の様子が描かれ、このところの実際は、かなり

どろどろなものなのでしょうが、見事に上澄みのところだけをすくいあげています。

ちょっときれいすぎるかなとも思いますが、自分が経験した苦労をこれでもかこれ

でもかという風に書くのが小説ではないですね。

 この小説が、動きだすように感じる(あくまでも当方の感じ)のは、真ん中をすぎ

たところにおかれた「ジェシーのように」という章からでありました。そこには、次の

ようなくだりがありです。もちろん作中の作家さんの思いであります。

「書くべきことは鮮明に見えていたが、書くことは言葉との闘いであった。ひとつの

ほんの一瞬のことをどういう言葉で表現するかによって、まったく別の景色になって   

しまうからであった。想念の中に見えている世界をふさわしい言葉で表せたとき、

小説は立ってくる、それこそ万感を呼ぶのであった。

 月日ばかりが流れて、目に見える成果は微々たるものであった。これが高橋の

文体と呼べるものに中々ならない。変幻自在な日本語が魔物に見えて、畏れす

ら覚える。」

 小説家として生き残るというのは、いつもこうした魔物との格闘なのでありま

しょう。 

 この小説は、最後まで目を通してから、最初の章に戻りますと、なんと最初にわけ

わからずに読んでいたところが見えるようになっていて、それはその次も、その次も

であります。

 とてもよくできた小説でありますが、もうすこし毒があってもいいかと思うものの、

それは乙川さんのスタイルではないのでしょう。 

この地上において私たちを満足させるもの

この地上において私たちを満足させるもの

 

 

気温あがる

 本日はこれまでのところプラス気温が続いています。昨日の朝からずっと

あったか本日は7.5度を記録しました。 

 午前中はパン作りをしていたのですが、気温があがってくると天然酵母

発酵にも良い影響がでるようです。本日のパンは、いつもよりちょっと全粒粉の

比率を少なくして、普通のパンに近いもちもちなものとして焼きました。

 さて、パンも出来たしということで、外出しブックオフをのぞいてきました。

予算ワンコインでと思っていましたが、本日は新刊の時に買おうかどうか迷った

ものが、そこそこの値段ではありましたが、ならんでいましたので、これを購入す

ることとしました。

 最近の文庫本は千円を超えるものは珍しくなくなっていて、購入するのをため

らうことがよくありです。さすがにそれは作る方でもわかっていて、なんとか価格

を千五百円くらいに抑えているようですが。

 安ければ無条件で購入するぞと思っているのは松岡正剛さんの「千夜千冊

エディション」であります。あのセットになっている「千夜千冊」を購入したという

知人にいわせると、なにけちくさいこといってんのさというところですが、当方は

もともとあまり松岡正剛さんとは相性がよろしくないこともあり、こうした形で文庫

になっても、購入を躊躇するのでありますね。

 本日にブックオフで3割引きくらいで売られているのをみましたら、これは買う

しかないなと思いましたです。テーマも当方が一番入りやすいものでありました

からね。

  これのいくつか気になるところをつまみ読みであります。まずは「南総里見八犬

伝」を取り上げているところから。

 森鷗外が「八犬伝は聖書のような本である」といったことから、話は広がっていく

ことになりです。

「いまどきの大衆文学作品で、これは聖書だなんて感じられるものはありますか。

ちょっとないでしょう。どんなものがあるかと、いまふと思い浮かべでみましたが、

まあ、たとえば大西巨人の『神聖喜劇』や車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂

それからごく最近の阿部和重が山形の町を舞台にした『シンセミア』など、いい

出来ではあるけれど、やはり聖書とはいいがたい。」

 ここにあがっている聖書とはいいがたい三冊は、なんとか読んでおりました。

これに続いて、松岡さんは鷗外だけでなく露伴も「馬琴は日本文学史上の最高

の地位を占めている」といっていると記しているのでした。

 ということは、岩波文庫十冊本(箱入り)を購入して、三冊目の途中くらいで

止まっている、八犬伝を読みなさいということであるかな。

 子どものころに、これの子どもむけダイジェスト版をどきどきしながら読んだの

でありますね。大人になって読むと、これがけっこうエロティックに感じたりです。 

南総里見八犬伝 全10冊 (岩波文庫)

南総里見八犬伝 全10冊 (岩波文庫)