お見舞い同封あり

 本日外出から戻りましたら「本の雑誌」10月号が届いておりました。

本の雑誌424号2018年10月号

 当方は版元からの定期購読でありまして、自宅で待っておりましたら、郵便で届く

しかけとなっています。版元から購読をしますと、隔月で付録のおまけとしてはさみ

こみちらしがはいっていまして、これも含めて直接購読のお楽しみとなります。

 さらにさらに今月は、「本の雑誌」発行人 浜本茂さんからご丁寧にもお見舞い

が添えられていました。

「いつも本の雑誌をお読みいただきありがとうございます。

 このたびの地震で北海道にお住まいの方は大変な思いをされたかと存じます。

 心よりお見舞い申し上げます。」

 このようにはじまる全部で8行からなるお見舞いのメッセージでありますが、最後

には自筆(圧迫痕がありますので、そうでしょう)でのサインがありました。

 「本の雑誌」 の出来上がりがどのような日程になっているのかわかりませんが、

今回の地震が起きたのが9月6日でありまして、それからほぼ2日ほど北海道のほと

んどの地域が停電になっていましたので、函館出身の浜本さんは、雑誌があがって

発送する段階において、北海道の直販読者むけにメッセージを送らざるを得なかった

のでしょう。 

 現在、函館で書店員をしている当方の弟からは、函館の住まいは7日19時44分

に電気が通ったと連絡がありました。そういえば、転勤商売であった父と一緒に暮ら

していた弟は卒業した小学校のあった場所が、今回の震源地近くで震度7を記録した

とこでありました。その地で1968年の十勝沖地震を経験した94歳の母は、あの

時もひどい揺れで住まい近くには地割れができたからと話をしていました。

 今回の地震でお亡くなりになった老夫婦が、かってお住まいであった住居は、今は

移築されて古民家として保存され、それではまちおこし協力員の方が、天然酵母

パンをつくって販売されています。畑島ご夫婦は亡くなりましたが、生前に町に寄付

した旧宅は、いつまでも畑島夫婦の地域への思いを伝えていくことでしょう。 合掌

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よくわからないこと

 大きな地震があって一週間が経過しようとしています。いまだ余震は続いて

おりますが、震源地あたりの現状とくらべますと、30キロも離れていないのに、

ありがたいほど落ち着いてきています。近所のスーパーも野菜などは入荷が

順調で、ほぼ回復しています。いまだに入手できていないのは、牛乳などであ

りまして、近所のコンビニの話では、明朝8時には入荷する予定ですとのこと、

明日はいってみなくては。

 いまだによくわからないのは、はてなブログアクセス解析の見方というか

数字の読み方でありますね。当方のはてなダイアリーは年数を重ねていたせい

もありまして、そこそこページビューの数字があったのですが、もちろんこれは

ブログに引き継ぎがされずで、一からのスタートとなりました。

かってのダイアリーのページビューのカウントがどのような仕組みになっている

のかわかりませんが、ブログのアクセス解析にでてくる数字は、以前よりも大分

少ないかな。まあ、あんまし数字のことは気にしないことにいたしましょう。

 そんなことをいいながら、Google アナリティクス でもチェックしたりです。

 本日は水曜日でありますが、新聞朝刊に読書欄が掲載されていました。

いつもでしたら土曜日掲載となりますが、地震のせいで特別紙面になっていま

したので、それで本日にスライドしたものです。

この読書欄を見て、目に止まったのは福永信さんがあげている文庫本三冊と

都甲幸治さんがあげている温又柔さんの新作でした。

 温又柔さんの新作小説は図書館から借りていて、本日は返却日でありまし

たが、まだ読み終えることができていないので、これから読んでしまわなくては

いけませんです。

 都甲さんの書評最後の文章は、次のようになりです。

「もし日本や日本語について考えることが日本文学の役割ならば、温はその

中心にいる。」

空港時光

 

「松竹と東宝」

 先日まで光文社新書「松竹と東宝」を読んでおりました。

松竹と東宝 興行をビジネスにした男たち (光文社新書)

 阪急グループを作った小林一三に関しては、数年前にTVドラマとなったりしました

し、読んではいないものの阪田寛夫さんによる伝記などもあって、なんとなくわかっ

たつもりをしておりましたが、いま一方の松竹兄弟については、ほとんど知るところ

がなく、どうして兄弟の一人が文化勲章を受けることになったのかと不思議に思って

おりました。

 どうこういっても東宝とか宝塚歌劇小林一三が作って、育てたものであります

が、松竹のほうは、双子の兄弟の役割分担とか映画部門を担った娘婿 城戸四郎の

存在もあって、ちょっとわかりにくいことになっています。

 この新書は、松竹兄弟が京都の芝居小屋の売店を経営する家に生まれて、その

才覚で次々と芝居小屋を手中におさめ、ついには歌舞伎興行を仕切るまでを描いて

います。

 松竹兄弟が関西の芝居小屋を支配して、東京へと進出するのは明治も終わり頃と

あります。東京の芝居小屋では、この松竹兄弟をどのように迎えたのであるかです

ね。いまでは、松竹の芝居小屋である歌舞伎座も、明治時代には、別の小屋主のも

のでありまして、その歌舞伎座をめぐる国盗り物語が、この本の一つの読みどころ

かと思いました。

 そういえば、何ヶ月か前に読んでいた岡本綺堂の「ランプの下にて」は、ちょう

ど松竹が初めて東京へと進出した頃の芝居見物記を収録しています。

明治劇談 ランプの下(もと)にて (岩波文庫)

「大切には初上りの中村鴈治郎がやはり歌舞伎座と掛持ちで出勤して、『近江源

氏』の盛綱を務める。・・・それでは新富座の盛綱はどかというと、わたしの

見物した日には、時間の制限のために大切の近江源氏はほんの口元だけで、・・

盛綱がこれからどれほどの技倆を発揮するか、わたしは遂にうかがい知ることが

出来なかった。・・

したがって、盛綱の方は観客に十分認められず、初上りの青年俳優に取っては

甚だ気の毒な結果を生み出してしまった。」

 関西の人気俳優 中村鴈治郎も最初の東京での舞台では、あまりうまくいか

なかったように読める岡本綺堂の文章であります。

 この中村鴈治郎の初上りが、松竹兄弟が、東京の興業界に存在感を示した

最初となります。 中村さんの「松竹と東宝」には、次のようにあります。

「かくして白井松次郎鴈治郎のマネージャーとしてだけでなく、東京でも興行

師としてデビューすることになった。・・鴈治郎歌舞伎座に出た。『盛綱陣屋』

では鴈治郎が盛綱、芝翫が篝火、『封印切』では鴈治郎の忠兵衛に芝翫の梅川と、

東西の成駒屋が、舞台の上では和やかに共演した。

 十月三日の初日から歌舞伎座は大入りとなり、松竹の東京初興業は成功した。」

 岡本綺堂さんが書くところとは、すこしニュアンスが違うようにも思いますが、

なんとなく、岡本さんの劇評のほうが同時代の東京の受け止め方のようにも思える

ことです。

 岡本さんの文庫本の巻末についている明治演劇年表の「明治44年8月」に次

のようにありです。

「松竹会社が歌舞伎座を買収せんとし、同座一部役員感に紛糾を生じたるが、

結局松竹が手を引くことになり和解す。」

 結局、松竹兄弟が歌舞伎座の経営権を手に入れたのは大正二年とのことです。

気温上がらず

 本日はすこし雨模様の一日で気温もあがらず、肌寒いくらいになりました。

本日の最高気温は15度で、この時間は13度ほどですから、あとすこし気温が

下がると暖房がほしくなります。現実にお年寄りたちは、ストーブをつけている

ことでしょう。

「北の街ではもう 悲しみを暖炉で燃やしはじめてるらしい」であります。

山崩れによって行方不明となっておられた方々は、残念ながら全員の死亡が確認

されました。救出作業に従事されていた皆様にあっては、本当にお疲れ様であり

ました。

 人口4600人ほどの厚真町では36人の方々がお亡くなりになりました。

町の人口の1%に近い数字ですから、これがいかに大変であったのかわかります。

集落によっては、ほとんど半数に近い人がお亡くなりになったようです。

 自然のおそろしさであります。当方の近所にも同じような地質条件の丘があり

まして、それが崩落したら、ご近所の人々はどうするのでありましょう。まさに

他人事ではありませぬ。

 地元の新聞には今回の山崩れでお亡くなりになった方々の葬儀のお知らせが

掲載されていました。自宅が崩壊し、地域が混乱している状態では、地域での

葬儀は難しく、親族が住む近隣の街での葬儀となったようです。

 例年でありましたら、この時期は農作物の収穫期に入りまして、美味しいもの

がいっぱいあって、一年で一番良い季節であるのですが、いかにもかなしい秋と

なりました。

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重陽の節句

 すっかり影が薄くなっていますが、9月9日は重陽節句です。五節句というのだ

そうですが、桃の節句端午の節句とくらべると話題となることは少なしです。旧暦

での9月9日の頃は、菊の花が咲いていますので、それで菊の節句ともいうそうな。

 当地は春は遅くて、冬は早くにくるという暦で暮らしていますので、新暦の桃の節

句の時は、いまだ雪が残っていて、花をみることはできませんが、新暦で菊の節句

重陽節句)の頃は菊のつぼみがふくらみかけています。本日は菊の写真でも掲げ

ましょうかと思ったのですが、これはまだちょっと早すぎました。

 重陽節句というのを知ったのは丸谷才一さんの小説「今は何時ですか?」のお

かげでありまして、毎年、この9月9日は「今は何時ですか?」を話題とするよう

にしております。このあと、この小説をひっぱり出してきて、すこし読んでみること

にしましょう。

 今回の北海道の地震のせいで、電気のありがたさを再認識したという声があちこち

から聞こえてきます。電気を使ったツールにサポートされた生活というのは、当たり

前のことになっているのですが、ほんとうにこうした生活に飼いならされてしまっ

て、人間本来がもっていたはずの力が衰えてしまっているのではと思ったりします。

 ほんとに当方が物ごごろついたころに、自宅にあった電気を使うものといったら照

明器具くらいしかなかったように思います。最初にはいったのはラジオで、ついで

トースターでしょうか。

まあ60年も前のことでありまして、そんなことをいってどうするですが、現在の

飼いならされた生活の結果が原子力発電の必要性を否定できないようにしているので

あります。

 こちらでは節電20%目標としてとアナウンスされていますが、それが達成できな

くて、今の生活を続けたいのであれば、やりたくはないけどもしょうがないよねと

いうストリーなのでありましょう。

 便利さに喜んでいたら、そのつけは何かの形で支払わなくてはいけないようです。

 いまだにはてなブログには慣れないのでありますが、すこしでも読みやすいのでは

ないかと意識して改行するようにしています。ダイアリーにあったページビューが

なくなって、訪問者の解析などが見えない形で、充実していました。当方の場合は、

これのアクセス数を増やして、小銭をかせごうという考えはありませんので、どの

ようなルートでたどり着いたかは、そんなに重要ではないのですが、このような解析

を目にするのは、ちょっと楽しいことです。

   このところ記事を書くのは、Linuxfirefoxを使って、ページ幅にあわせているので

ありますが、これを保存してから、他のWindows版やMac版で開いてみますと、改行

位置がぐちゃぐちゃでありまして、これはいかんです。しばらく、これの試行錯誤は

続くことになりそうです。(無理して改行しなけらば、そんなことは起こらないので

ありますが)

行列には並びたくなし

 ある程度年齢もいっていることもあり、あまりバタバタとしたくないことであり

ます。そんなことをいっておきながら、はてなダイアリーが来年で終わると

アナウンスを受けて、非公開でブログを開設したのが9月1日で、それから

ダイアリーからブログへのインポートを試みたのですが、十年をこえる年数で、記

事の数も4200とかあったらしく、延々と作業は続いておりました。混み合って

いたこともあるらしく、結局全部引っ越しするまでに、5日くらいもかかったよう

です。

 ダイアリーをブログに引っ越ししてから、このあとどうしたらいいのかなと思い

つきました。インポート後にダイアリーに記事を残したとしても、それのインポート

はできずで、両方に同じ記事を残していかなくてはいけないようで、それは大変だな

と思っていて、いろいろといじっているうちに、なんとダイアリーには戻ることが

できないようになっていました。なんとまあ軽率なことであることか。

 いまさらインポートを取り消すというのも面倒でありますので、えいやっとブログ

で公開することとしたものです。

 これからしばらくの北海道は、お店とガソリンスタンドに長蛇の列であります。

たぶん、ネットでは、あそこのお店にいったら、これが買うことができたとか、

あれがあったという情報にあふれているのでありましょう。本日の段階では、

店には商品がほとんどなく、とりわけ生鮮食料品(肉、乳製品、豆腐など)は

まったくありません。停電のために、作ることができなくて、冷凍してあったものは

売り物にならずということになりです。

生産が軌道にのって、店頭にならぶまでにはしばらく時間がかかりそうです。

数少ない商品を確保するために、開店前の行列に並ぶことだけは避けることにしま

す。

 本日に届いたメールには、どこにいってもパンが売られていなくて、ずいぶんと

店をまわったが、結局だめだったとあります。幸いにして、当方のところはパンは

自家製でありますからして、これの確保のために走り回る必要はありません。

 昨日までTVを見たいと思っても、停電のために見ることができなくて、それで

すこしは本を読むことができたのでありまして、本日もおとなしく本を読んでいれば

いいのにでありますが、残念ながらほとんど読めていないこと。

本日読んでいたのは、堀江敏幸さんの「オールドレンズの神のもとで」であります

が、表題作が奇妙な味わいで、よくわからないけど、これはいいなであります。

20ページもない小品ですから、読み返すのも大変ではありません。

 わかりやすいから遠いところにあって、どう逆立ちしても「感動した」という

言葉を発することはないでありましょう。プロの小説家は読み手に「感動した」と

いわせない作品を発表して、読み手をうならせてもらいたいもの。

 

オールドレンズの神のもとで

オールドレンズの神のもとで

 

 

 

ひどい地震でした

 昨日の深夜にあった地震のせいで、ずっと停電が続いていましたが、本日の18時に無事通電しました。部屋に明かりがともったときには、思わず拍手してしまいました。当方は小学生の頃に開拓地に引っ越した経験があって、そこでの生活は電力会社の電気供給がなかったせいもあって、夜は懐中電灯くらいの明かりだけで、本を読むこともできませんでしたので、停電とはいっても明るい懐中電灯がある現在のほうが恵まれているようにも感じました。ガスと水道が動いていたせいもあって、煮炊きには困りませんでしたから。むしろ心配はご近所にお住まいの一人暮らしのおとしよりでありまして、ろうそくをつかったり、小さな懐中電灯で過ごしていたりでした。なによりも不安な気持ちで過ごしていたお年寄りたちがほっとしたと思われるのがありがたいことです。今回の地震で当方のところは震度5強でありました。過去に何度か大きな地震を経験したことがありましたので、それとくらべて特のひどく大きなものとは思いませんでしたが、ご近所の町で大きな被害があったのには驚き、すこしでもはやくに不明の方々が救出されることを願っています。こんな時期にとは思いますが、先日来やっていたインポート作業が完了して、ダイアリーとのリダイレクトというのをぽちっとしましたら、なんとすべての記事がはてなブログへと移行してしまいました。そういうわけで、本日からはお引越しとなりました。これまでのアドレスとはかわるのですが、以前のアンテナでリンクされていると、アドレス変更することなしにブログへと飛ぶようです。どうぞよろしく。